スティーブ・ジョブズは、1985年にAppleを「解雇」されたわけではありません。同年4月の取締役会でマッキントッシュ部門の責任者を解かれて実権を失い、会長職に残ったまま、9月に自ら辞表を出しています。ただし本人は後年、この出来事を「クビになった(fired)」と語りました。実際に何が起きたのか。そして追い出されたあとの11年、彼がどこで何をしていたのかを、残っている記録に沿って追います。
目次
1985年、ジョブズに何が起きたのか
発端は、売れなかったコンピュータです。
1984年に鳴り物入りで発表されたMacintoshは、期待されたほどの数が出ませんでした。1984年のクリスマス商戦で売れ残った在庫が倉庫に積み上がり、1985年に入るとAppleは創業以来はじめての四半期赤字を計上します。人員も約5分の1が削減されました(Mac History)。
マッキントッシュ部門を率いていたのは、当時29歳のジョブズです。責任の所在は、誰の目にも明らかでした。
1985年4月10日、取締役会が開かれます。CEOのジョン・スカリーは、ジョブズをマッキントッシュ部門の責任者から外すよう求め、それが通らなければ自分が辞めると告げました。取締役会が選んだのはスカリーでした。
ジョブズは日々の業務における権限を失います。ただし、会長職はそのまま残されました。
その後、ジョブズはスカリーが中国へ出張する隙を突いて実権を取り戻そうとします。計画は事前に漏れ、失敗に終わりました(Cult of Mac)。CEO職への就任など、いくつかの提案も退けられます。
そして1985年9月、ジョブズは自ら辞表を提出し、Appleを去りました。
1985年の10か月。4月に権限を失い、9月に自ら会社を出るまで。
「クビ」ではなかった ─ 解任と辞任の違い
ここが、この話でいちばん誤解されている部分です。
「解雇」は、会社の側が雇用契約を一方的に終わらせることを指します。1985年のジョブズに起きたのは、それとは違います。
起きたのは3つです。役職からの解任。会長職の保持。そして、本人の意思による辞任。
つまり、最後にAppleを出るという判断を下したのは、ジョブズ自身でした。
| 言葉 | 意味 | 1985年に起きたか |
|---|---|---|
| 解雇(クビ) | 会社が雇用契約を一方的に終わらせる | 起きていない |
| 解任(降格) | 特定の役職から外す | 起きた(4月・マッキントッシュ部門) |
| 辞任 | 本人の意思で職を退く | 起きた(9月・自ら辞表を提出) |
ただし、通説がまったくの誤りかというと、そうとも言えません。
権限を取り上げられ、部下もいなくなり、意思決定の場から外された。会社に籍はあるのに、やることがない。その状態を「追い出された」と表現するのは、事実として無理のない話です。
形式としては辞任。実態としては追放。この2つが両立していたのが、1985年のジョブズでした。
では、なぜ「クビ」と言われるようになったのか
出所は、意外な場所にあります。
本人です。
2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で、ジョブズはこう語りました。
「あのときは分からなかったが、Appleをクビになったことは、自分の人生で起こりえた最良の出来事だった。おかげで、人生でもっとも創造的な時期に入ることができた」
出典: Stanford Report(2005年6月12日) ※原文は “getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. It freed me to enter one of the most creative periods in my life.”
「クビになった(getting fired)」と言っているのは、ジョブズ本人です。
この演説は世界中に広まりました。通説の出所をたどっていくと、当事者の言葉に行き着く。そういう構図になっています。
なぜ本人がその言葉を選んだのかは、本人にしか分かりません。ただ、権限と居場所をすべて失った状態を一言で説明するなら、「クビ」がもっとも近かった。そういうことだったのだろうと思います。
ここが「裏」の部分
「ジョブズは解雇された」という通説は、事実としては正確ではありません。しかしその通説を広めたのは、ほかならぬジョブズ自身でした。
そして注目すべきは、この発言が1985年ではなく2005年のものだという点です。追い出されてから20年、Appleに戻ってから8年が経っていました。「最良の出来事だった」と言えるようになるまでに、それだけの時間がかかっている。
追放後の11年 ─ NeXTとPixarで何をしていたか
多くの記事は、ここを飛ばします。「追い出された」「そして戻ってきた」で終わる。
けれど、Appleを出てから戻るまでには11年あります。この11年に何をしていたのかが、本当の中身です。
結論から言うと、両方とも、当初の事業では失敗しています。
NeXT ─ 4年で5万台しか売れなかったコンピュータ
Appleを去った1985年、ジョブズはすぐにNeXTを立ち上げました。作ろうとしたのは、高等教育市場に向けた高性能なワークステーションです。
NeXT Computerが発表されたのは1988年10月。価格は6,500ドルでした(NeXT Computer – Wikipedia)。当時としても、学生が気軽に買える金額ではありません。
売れ行きは厳しいものでした。1989年に出荷できたのは数百台。1990年9月の時点でも、月あたり500台程度です。4年間の累計でおよそ5万台。ジョブズが思い描いていた規模には、まるで届いていません。
1993年、NeXTはハードウェア事業から撤退します。会社に残ったのは、自社開発したOSであるNEXTSTEPだけでした。
Pixar ─ 10年で約5,000万ドルを注ぎ込んだ会社
もう一方のPixarは、そもそもアニメーション会社として買ったものではありません。
1986年2月3日、ジョブズはルーカスフィルムのコンピュータ部門を買い取りました。買収額は500万ドル。さらに自己資金から500万ドルを出資し、合わせて1,000万ドルで独立した会社にしています(MacStories)。
当時のPixarが売ろうとしていたのは、Pixar Image Computerという画像処理専用のハードウェアでした。これも売れませんでした。
資金は流出し続けます。ジョブズが最終的にPixarに投じた自己資金は、およそ5,000万ドルにのぼりました。
転機は1995年です。11月に公開された『トイ・ストーリー』が、世界初の長編フルCGアニメーション映画として大きな成功を収めます。同月29日、Pixarは690万株を放出して株式を公開しました。株式の8割以上を保有していたジョブズは、この日、資産10億ドルを超えます(Cult of Mac)。
Appleを追われた男が億万長者になったのは、Appleに戻る前でした。しかもコンピュータではなく、映画によってです。
11年間、2社は並走していた。どちらも当初の主力商品であるハードウェアでは失敗している。
| NeXT | Pixar | |
|---|---|---|
| 始まり | 1985年に創業 | 1986年に1,000万ドルで買収 |
| 当初売ろうとしたもの | ワークステーション(6,500ドル) | 画像処理用ハードウェア |
| 結果 | 4年で約5万台。1993年に撤退 | 売れず。投じた自己資金は約5,000万ドル |
| 実際に価値になったもの | OS(NEXTSTEP) | CGアニメーション映画 |
| 11年後 | Appleが4億2,900万ドルで買収 | 1995年に株式公開 |
Appleに戻るまでに起きたこと
1996年12月20日、AppleはNeXTを4億2,900万ドルで買収しました(MacRumors)。目当てはハードウェアではなく、NeXTが持っていたOSです。当時のAppleは次世代OSの開発に行き詰まっており、外から買うしかない状態でした。
ジョブズが最初に戻ったのは、CEOとしてではありません。1997年1月のMacworldに姿を見せた時点での立場は、アドバイザーでした。暫定CEOに就くのは、その年の後半になってからです。
この順序は、見落とされがちですが重要です。
押さえておきたい点
ジョブズは「11年経ったからAppleに呼び戻された」のではありません。Appleが買いに来るしかない技術を、11年かけて外で育てていたのです。
売れなかったNeXTのコンピュータ。そのために作ったOS。それが結果的に、古巣に戻るための唯一の切符になりました。
では、自分はどうするか
ここまでの話を、自分の側に引き寄せて考えてみます。
1. 失敗した事業の中に、次に効く資産が残ることがある
NeXTのハードウェアは失敗しました。しかしそのハードを動かすために開発したNEXTSTEPが、後のAppleの土台になります。Pixarも同じで、ハードウェアでは負けましたが、そのために磨いたCG技術が映画に転用されました。
撤退した事業を「なかったこと」にすると、この資産ごと捨てることになります。
今日できること:うまくいかなかった仕事や事業を1つ選び、そこで身についたもの、作ったもの、残ったデータや関係を、箇条書きで書き出してみてください。「時間の無駄だった」で片づけるのと、資産を数え上げるのとでは、次の一手が変わります。
2. 撤退の判断を、遅らせない
NeXTがハードウェア事業を畳んだのは1993年。発表から5年、発売から4年です。Pixarも早い段階でハードウェアを諦め、映像に舵を切っています。
どちらも「もう少し頑張れば」と粘り続けてはいません。畳むべきものは畳み、残った資産に集中しています。
今日できること:続けている取り組みについて、「いつまでに、何が、どこまで到達しなかったら撤退するか」を紙に書いて日付を入れてください。判断基準を先に決めておかないと、判断そのものが先送りされ続けます。
3. 評価が変わるまでの時間を、長めに見積もる
「最良の出来事だった」とジョブズが語ったのは2005年。追い出されてから20年後です。
言い換えると、1985年から2005年までの20年間、この出来事はまだ「最良」ではありませんでした。少なくとも、そう呼べる状態ではなかった。
今日できること:いま起きている悪い出来事について、結論を出すのをやめてみてください。「これが何だったのか」は、まだ確定していません。確定するのは、次に何をするかを決めたあとです。
まとめ
ジョブズは1985年にAppleを解雇されていません。役職を解かれ、実権を失い、最後は自分の意思で辞めました。そして「クビになった」という言い方を広めたのは、20年後の本人でした。
そのあいだの11年、彼は2つの会社で、2度とも当初の事業に失敗しています。売れなかったコンピュータ。売れなかった画像処理装置。ただ、そのために作ったものが後に残りました。
結果から見れば見事な逆転劇です。しかしその11年を生きている最中は、ただの「うまくいっていない期間」でした。それが何だったのかが決まったのは、ずっとあとの話です。
よくある質問
スティーブ・ジョブズはなぜクビになったのですか
厳密には解雇されていません。1984年発売のMacintoshが売れず、Appleが創業以来はじめての四半期赤字を出したことを受け、1985年4月の取締役会でマッキントッシュ部門の責任者を解かれました。会長職は残りましたが実権はなく、同年9月に本人が辞表を提出しています。
ジョブズはいつAppleを辞めたのですか
1985年9月です。4月に部門責任者の役職を解かれ、5月に実権を取り戻す試みが失敗したのち、自ら辞表を提出しました。当時30歳でした。
Appleを離れてから何をしていたのですか
2つの会社を動かしていました。1985年に創業したNeXTと、1986年にルーカスフィルムから買い取ったPixarです。NeXTはワークステーションを、Pixarは画像処理用ハードウェアを売ろうとしましたが、いずれも当初の事業では成功していません。
ジョブズはいつAppleに復帰したのですか
1996年12月20日にAppleがNeXTを4億2,900万ドルで買収し、これがきっかけとなりました。ただし当初の立場はアドバイザーで、暫定CEOに就任したのは1997年の後半です。
なぜピクサーを買ったのですか
アニメーション会社としてではなく、コンピュータグラフィックスの技術を持つ部門として買収しています。1986年当時のPixarはハードウェアを売る会社でした。アニメーション映画で成功するのは、買収から9年後の1995年です。
NeXTはどうなったのですか
1993年にハードウェア事業から撤退し、ソフトウェア企業になりました。開発していたOSのNEXTSTEPが後のAppleの基盤技術となり、1996年のApple買収につながっています。