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エジソンの「1万回の失敗」は正確ではない|名言の本当の出どころと、電球を灯した日本の竹

歴史の裏側

「私は失敗していない。うまくいかない方法を1万通り見つけただけだ」。エジソンの言葉として知られていますが、正確ではありません。最初に記録された言い方は「数千通り」で、しかも電球ではなく蓄電池の研究中の話でした。では電球のほうは何回だったのか。実際に残っている数字は、6,000種類の素材と、点灯時間40時間から2,000時間への伸びです。そして最後に選ばれたのは、日本の竹でした。

「1万回失敗した」は、正確ではない

この言葉は、自己啓発の文脈でよく引かれます。1万回やってもあきらめなかった男、という文脈です。

ただ、記録をたどると、いくつも食い違いが出てきます。

数字が違う。場面が違う。言い回しも違う。

断っておくと、エジソンが似たことを言ったのは事実です。捏造された名言ではありません。ただ、語り継がれるうちに形が整い、別の出来事と結びついた。そういう類の変化が起きています。

そして、置き換わってしまった本来の話のほうが、実は面白い。順に見ていきます。

本当は何と言ったのか

この逸話の最も古い記録は、1910年に出た伝記『Edison: His Life and Inventions』です。F.L.ダイアーとT.C.マーティンによる本で、エジソンの長年の同僚だったウォルター・S・マロリーが語った話として収められています。

場面はこうです。マロリーがエジソンを訪ねたとき、彼はニッケル鉄蓄電池の研究をしていました。

ニッケル鉄蓄電池は、繰り返し充電して使える電池です。当時主流だった鉛蓄電池より丈夫で寿命が長く、エジソンは電気自動車に積むことを想定して開発していました。地味な題材ですが、彼が長く時間を注いだ仕事のひとつです。

この研究で、すでに9,000回を超える実験を重ねたあとでした。

成果が出ていないことに同情したマロリーへ、エジソンはこう返します。

「結果だって? いいかね、私は山ほど結果を得ているよ。うまくいかない方法を、数千通り知っているんだ」

原文: Results! Why, man, I have gotten a lot of results! I know several thousand things that won’t work. / 出典: Quote Investigator(1910年の伝記より)

広まっている形と並べると、変わった部分がはっきりします。

記録に残る形広まっている形
数字数千通り1万通り
場面ニッケル鉄蓄電池の研究白熱電球の開発
言い回し「山ほど結果を得ている」「私は失敗していない」
初出1910年の伝記(同僚の証言)後世に整えられた版

ここが「裏」の部分

変わったのは数字だけではありません。場面がまるごと入れ替わっています。蓄電池の話が、いつの間にか電球の話になりました。

電球の開発で999回、1,000回、1万回の失敗をしたという数字は、いずれも一次資料の裏づけが見つかりません。有名な逸話ほど、数字と場面が入れ替わりやすいということです。

では、電球のほうは何回だったのか

回数の記録はありません。ただ、実際に残っている数字はあります。

エジソンがフィラメントの素材として試した炭化材料は、およそ6,000種類にのぼりました。

そもそもフィラメントとは、電球のなかで光る細い線のことです。電気を流すと熱を持って光りますが、燃え尽きてしまえば終わりです。いかに長く、切れずに光り続けるかが課題でした。

1879年、エジソンは炭化させた木綿糸で40時間の連続点灯に成功します。当時としては画期的でした。

ただ、40時間では商品になりません。実用にするには、桁違いの持続時間が要ります。

世界を探して、日本の竹にたどり着いた

探索のなかで、エジソンはあることに気づきます。竹でできた扇子の骨を炭化させて試したところ、成績が良かったのです。

そこから先の動きが、この話のいちばん面白い部分です。彼は世界各地に調査員を送り出しました。適した竹を探すためです。

6,000種類から、1本の竹まで炭化材料 およそ6,000種類木綿糸・紙・ひげ・あらゆるものを試した竹が有望と分かる扇子の骨を炭化させた実験がきっかけ八幡の真竹京都・石清水八幡宮の周辺

総当たりで始まり、最後は1か所の竹に行き着いた。

1880年、調査員の一人が日本にたどり着きます。見つけたのは、京都の石清水八幡宮の周辺に生えていた竹でした。

この八幡の竹には、フィラメントに向いた性質が揃っていました。繊維が太くて強く、炭にしても簡単に折れない。節と節の間隔もちょうどよかったのです。

結果は数字に出ました。八幡の竹を使ったフィラメントの連続点灯時間は1,200時間。さらに改良を重ねて2,000時間まで伸びます(Highlighting Japan)。

時期素材連続点灯時間
1879年炭化させた木綿糸40時間
1880年〜八幡の竹1,200時間
改良後八幡の竹2,000時間

40時間から2,000時間へ。50倍です。

2,000時間という数字を、暮らしの側に置き換えてみます。1日8時間つけるとして、250日もつ計算です。40時間なら5日で切れます。5日ごとに交換する明かりは商品になりませんが、8か月もつなら話が変わります。

この差が、実験室の道具と商品を分けました。

その竹は、1894年まで世界を照らした

八幡の竹を使った電球は1881年ごろから製造され、1894年に新しい素材が見つかるまで、世界中で使われました。

10年以上にわたって、世界の明かりが京都の竹で灯っていたことになります。

その後、フィラメントの素材はさらに変わっていきます。タングステンを使ったフィラメントがゼネラル・エレクトリック社によって開発されたのが1908年。販売開始は1911年でした(エネラボ)。

フィラメント素材の移り変わり木綿糸八幡の竹タングステン187918811894191140時間1,200時間 → 改良後2,000時間竹が主役だった期間は、10年以上にわたった

竹は一時しのぎではなく、10年以上にわたって世界の標準だった。

電球を発明したのは、エジソンひとりではない

ここまで書いておいて何ですが、そもそも白熱電球はエジソンの発明品ではありません。少なくとも、彼ひとりのものではありません。

イギリスにジョゼフ・スワンという発明家がいました。彼は1878年に白熱電球を実用化し、同年12月18日にはニューカッスルでの講演で炭素フィラメントの電球を公開実演しています。エジソンが炭素フィラメントの電球を世に出す前の年です。スワンは1880年11月27日に特許も取得しました。

当然、争いになります。スワンはイギリスでエジソンを特許侵害で訴え、英国の裁判所はこれを認めました。1882年には逆にエジソンがスワンを米国特許の侵害で訴えますが、スワン側が先行研究と発表を示せば不利になると判断されます。

決着のつけ方が面白いところです。訴訟を続けずに、1883年に両社が合併しました。社名は Edison and Swan United Electric Light Company。通称エディスワンです。2人の名前をそのままくっつけた会社が、イギリスで電球を売ることになりました(Ediswan – Wikipedia)。

売られた電球は、ガラス球がスワンの設計、フィラメントがエジソンのものでした。争った2人の仕事が、1つの製品のなかで組み合わされたことになります。

では、エジソンは何をしたのか

電球そのものの構想は1800年代初頭からありました。スワンをはじめ、取り組んだ人間も複数います。

エジソンの貢献は、細い炭素フィラメントと、より高い真空度を組み合わせたことでした。それによって、科学的な課題と商業的な課題の両方を最初に解いた人物になります。

「ゼロから発明した」ではなく「実用になるところまで持っていった」。この違いは小さくありません。

「失敗を恐れるな」に回収しない

この話は、たいてい「失敗を恐れずに続けよう」という教訓にまとめられます。ただ、そこで止めると大事な部分が落ちます。

1. エジソンは、やみくもに続けたわけではない

6,000種類を試したのは事実です。しかし竹が有望だと分かったあとの動きは、根性ではありません。世界各地に調査員を送るという、組織的な探索でした。

「あきらめなかった」という要約では、この部分が消えます。実際にやったのは、見込みのある方向が見えた時点で、資源を集中させることです。

2. 記録に残ったのは、回数ではなく数字だった

何回失敗したかは、実は分かっていません。残っているのは6,000種類、40時間、1,200時間、2,000時間といった測れる数字のほうです。

回数は語りやすく、伸びた時間は語りにくい。だから前者だけが有名になりました。しかし技術を進めたのは後者です。

3. 名言の側が、勝手に育っていく

数千が1万になり、蓄電池が電球に変わりました。誰かが意図的に書き換えたというより、語り継がれるなかで形が整っていったと見るのが自然です。

気をつけたいのは、その整った形のほうが記憶に残るという点です。正確な話は、たいてい面倒で、覚えにくいのです。

では、自分はどうするか

1. 回数ではなく、動いた数字で記録する

「何回やったか」は自分の努力の記録であって、前に進んだ証拠にはなりません。エジソンの側に残ったのは、点灯時間という測れる数字でした。

今日できること:いま続けている取り組みについて、「何回やったか」ではなく「何がどれだけ変わったか」を1つ書き出してください。数字が出せないなら、まだ測る対象を決めていないということです。まずそこを決めます。

2. 総当たりをやめる地点を決めておく

6,000種類の総当たりから、竹という方向が見えた瞬間に、エジソンは探索の仕方を変えました。全部試し続けたわけではありません。

今日できること:手当たり次第に試している段階のものがあるなら、「何が見えたら絞り込むか」を先に書いてください。決めておかないと、総当たりを続けること自体が目的になります。

3. 引用する前に、出どころを1回だけ調べる

「1万回」は、数字も場面も変わって伝わっていました。それでも誰も嘘をついてはいません。ただ、確かめた人が少なかっただけです。

今日できること:人前で使う予定の名言や数字があるなら、検索して最初に出た1件ではなく、その元になった資料まで1段さかのぼってください。1段だけで、たいていの誤りは見つかります。

まとめ

「私は失敗していない。うまくいかない方法を1万通り見つけただけだ」という言葉は、記録に残る形とは違っています。最も古い記録である1910年の伝記では、同僚の証言として「うまくいかない方法を数千通り知っている」と語られており、しかもその場面はニッケル鉄蓄電池の研究中でした。

電球のほうで残っているのは、回数ではなく別の数字です。試した炭化材料はおよそ6,000種類。1879年に木綿糸で40時間、1880年以降は日本の八幡の竹で1,200時間、改良後は2,000時間まで伸びました。

その竹は1894年まで世界中の電球に使われ、のちにタングステンへ引き継がれます。

この話から取り出すべきは「あきらめなかった」ではないと思います。見込みが見えた時点で探し方を変え、回数ではなく伸びた数字を残した。記録に残っているのは、そちらです。

よくある質問

エジソンは本当に1万回失敗したのですか

その数字を裏づける一次資料は見つかっていません。最も古い記録は1910年の伝記『Edison: His Life and Inventions』で、同僚のウォルター・S・マロリーが語った話として「うまくいかない方法を数千通り知っている」と収められています。1万という数字は後世に広まった形です。

あの名言はどの場面で言われたのですか

白熱電球ではなく、ニッケル鉄蓄電池の研究中です。9,000回を超える実験を重ねても成果が出ないことに同僚が同情したところ、エジソンが「結果だって? いいかね、私は山ほど結果を得ているよ」と返した、という記録になっています。

電球の開発では何種類の素材を試したのですか

およそ6,000種類の炭化材料が試されたと伝えられています。失敗の回数ではなく、試した素材の種類として記録に残りました。

なぜ竹だったのですか

竹でできた扇子の骨を炭化させて実験したところ、成績が良かったことがきっかけです。繊維が太くて強く、炭にしても折れにくい性質がフィラメントに向いていました。

その竹はどこの竹ですか

京都の石清水八幡宮の周辺に生えていた八幡の竹です。1880年、エジソンが世界各地へ送り出した調査員の一人が日本で見つけました。節と節の間隔もフィラメントに適していたとされています。

竹のフィラメントはどれくらい光ったのですか

1,200時間の連続点灯を実現し、改良後は2,000時間まで伸びました。それ以前は炭化させた木綿糸で40時間だったため、50倍の伸びになります。

電球を発明したのはエジソンですか

エジソンひとりではありません。イギリスのジョゼフ・スワンが1878年に白熱電球を実用化し、同年12月18日には公開実演も行っています。両者は特許をめぐって争いましたが、1883年に両社は合併し、Edison and Swan United Electric Light Company(エディスワン)となりました。エジソンの貢献は、細い炭素フィラメントと高い真空度を組み合わせ、科学的な課題と商業的な課題の両方を最初に解いた点にあります。

竹はいつまで使われたのですか

1881年ごろから製造され、新しい素材が見つかる1894年まで世界中で使われました。その後、タングステンを使ったフィラメントが1908年にゼネラル・エレクトリック社で開発され、1911年から販売されています。

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