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ミッキーマウス誕生秘話|ディズニーがオズワルドの権利を奪われた1928年と、その5年前の破産

歴史の裏側

ミッキーマウスは、ひらめきから生まれたキャラクターではありません。1928年、ウォルト・ディズニーは自分が育てた人気キャラクター「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」の権利を配給会社に持っていかれ、同時にアニメーターの半数も引き抜かれました。手元に何も残らなかったから、新しいキャラクターを作るしかなかった。それがミッキーです。しかもこれは、彼にとって2度目の破綻でした。1度目は5年前、19歳で立ち上げた会社の倒産です。

ミッキーは、追い詰められて生まれた

ミッキーマウスの誕生は、たいてい美しい話として語られます。

けれど記録をたどると、順番が逆でした。新しいキャラクターを思いついたから作ったのではなく、それまでのキャラクターを失ったから、作らざるを得なかったのです。

しかもディズニーは、この時点ですでに一度、会社を潰していました。

2度落ちて、そこから生まれた1921年 会社を設立当時19歳1923年 倒産オフィスで寝泊まりしていた1928年 権利を失うオズワルドと社員の半数1928年11月蒸気船ウィリー公開

2度の破綻を挟んで、5年のあいだに起きたこと。

1度目 ─ 19歳で作った会社が、2年で消えた

1921年6月28日、ウォルト・ディズニーはミズーリ州カンザスシティでLaugh-O-Gram Filmsという会社を立ち上げます。当時19歳でした。

資金繰りは最初から苦しいものでした。決定打になったのは、配給先との取引です。テネシー州のPictorial Clubsという会社が、6本のカートゥーンに対して11,100ドルを支払うと約束しました。ところが、その金は支払われませんでした(San Francisco Silent Film Festival)。

収入の当てが消えます。給料も家賃も払えません。

このときディズニーがどう暮らしていたかが記録に残っています。オフィスに住み込み、体を洗うのは週に一度、ユニオン駅の洗面所でした。

会社が畳まれたのは1923年。設立から2年と少しで、このとき彼は21歳になっていました。

間の5年 ─ ハリウッドで何をしていたか

1923年の倒産から1928年の権利喪失まで、5年あります。この間が飛ばされがちですが、実はここでオズワルドの土台ができています。

カンザスシティを離れたディズニーは、カリフォルニアへ向かいました。ハリウッドで合流したのが、兄のロイ・O・ディズニーです。

そこで最初に手がけたのは、ウサギでもネズミでもありませんでした。アリス・コメディというシリーズです。実写で撮影した少女アリスを、アニメーションで描いた世界のなかに置き、猫のジュリアスと絡ませる作品でした(The Walt Disney Family Museum)。

配給の契約相手はM.J.ウィンクラー。そして1923年10月16日、ウォルトと兄ロイはディズニー・ブラザーズ・カートゥーン・スタジオを設立します(HISTORY)。現在のウォルト・ディズニー・カンパニーは、この日を創業日としています。

倒産した年に、もう次の会社を立ち上げていることになります。

ここで押さえておきたいのは、順番です。アリスがあって、そのあとにオズワルドが来ました。「ディズニー最初のキャラクターはミッキー」と思われがちですが、その前にオズワルドがいて、さらにその前にアリスとジュリアスがいます。

そして、このアリス・コメディの時期に組んだ配給の枠組みが、そのままオズワルドにも引き継がれていきました。5年後に権利を失う構造は、ここで作られています。

2度目 ─ キャラクターごと、持っていかれた

アリス・コメディのあと、ディズニーはより大きなヒットを手にします。オズワルド・ザ・ラッキー・ラビットというウサギのキャラクターでした。

1927年から1928年にかけて、26本の短編が作られています。人気は本物でした。

1928年2月、ディズニーは配給元のチャールズ・ミンツと契約更新の交渉に臨みます。増額を期待して臨んだ場で、彼が告げられたのは2つのことでした。

ひとつは予算の削減。もうひとつは、主要なアニメーターがすでにミンツ側と契約を結んでいるという事実でした。

そして最大の問題は、オズワルドというキャラクターそのものが、ディズニーのものではなかったことです。

なぜ権利を失ったのか

ここが、この話の中心です。契約の構造を分解します。

1. 作った人と、権利を持つ人が違った

オズワルドを考えたのも、描いたのも、動かしたのもディズニーの側です。ところが著作権を保有していたのはユニバーサルでした。

この構造だと、誰が作っても利益はユニバーサルに入ります。ディズニーは制作を請け負う側であって、キャラクターの持ち主ではありませんでした。

オズワルドをめぐる関係ディズニー考える/描く/作る制作を請け負う側ミンツ配給を担当契約条件を決める側ユニバーサル著作権を保有利益を受け取る側誰が作っても、利益は右端へ流れる構造だっただからミンツは、制作者をディズニーから別の人間に差し替えることができた

作る人が一番左にいて、権利は一番右にあった。この並びが、そのまま交渉力の順番になっていた。

2. だから、交渉の余地がなかった

権利を持たない側は、契約を切られたらそこで終わりです。同じキャラクターで別の会社を作ることもできません。

ミンツの立場から見れば、制作者を入れ替えれば済む話でした。実際、アニメーターの多くはすでに引き抜かれています。ディズニーが条件をのまなければ、オズワルドは別のスタジオで作られ続ける。そういう構図でした。

3. 失ったのは、キャラクターと人だった

1928年3月、ディズニーはオズワルドと、アニメーターの半数を同時に失います。

会社にとって、これは商品と人材を一度に失ったということです。ふつうなら、そこで畳みます。

4. 条件をのむ道もあった

忘れられがちですが、ミンツの提示を受け入れるという選択肢はありました。予算は削られますが、オズワルドの制作は続けられます。収入も途切れません。

合理的に見れば、そちらのほうが安全でした。それでも彼は断っています。

残ったのは、数人だった

引き抜きのあと、スタジオに残ったのはごく少数でした。アニメーターのアブ・アイワークス、見習いのレス・クラーク、ウィルフレッド・ジャクソンら数人です。

この状況で、ディズニーとアイワークスは新しいキャラクターの制作を始めます。しかも秘密裏にでした。ほかのスタッフは、ユニバーサルとの契約分のオズワルドをまだ作り続けている最中だったからです。

この「秘密裏に」という部分が、当時の状況をよく表しています。ユニバーサルとの契約はまだ残っており、スタジオではオズワルドの制作が続いていました。その同じ場所で、それを置き換えるための新キャラクターを作っていたことになります。公にできる作業ではありませんでした。

最初の作品は「Plane Crazy」。着色作業は、ディズニーとアイワークスの家族が、それぞれの自宅で夜にこなしています。会社の設備も、残っていた人手も、契約分の制作に取られていたためです。

そして3作目、1928年11月18日に公開された「蒸気船ウィリー」が当たります。音が付いていたことが決定的でした。

オズワルドを失ってから、9か月も経っていません。

では、自分はどうするか

1. 誰が権利を持っているかを、先に確かめる

ディズニーが失ったのは、実力でも人気でもありません。契約書に書かれていた一行でした。

作る側は、作ることに集中します。だから権利の所在は後回しになりがちです。しかし、もめたときに効くのは契約の中身だけです。

今日できること:いま関わっている仕事や制作物について、「これの権利は誰のものか」を確認してください。受託で作ったデザイン、書いた記事、撮った写真、作ったツール。契約書があるなら、著作権の帰属と二次利用の条項を実際に読みます。書面がないなら、それ自体がリスクです。

2. 取引先が1社だけの状態を、放置しない

ディズニーの収入は、配給元であるミンツを通してのみ入っていました。だから交渉の席で、断る力がありませんでした。

1度目の倒産も同じ構造でした。Pictorial Clubsという1社が払わなかっただけで、会社が回らなくなっている。取引先が1社に寄っているという同じ弱点で、彼は5年のあいだに2度つまずきました。

今日できること:収入の内訳を書き出し、「1社が消えたら何パーセント減るか」を計算してください。5割を超える取引先があるなら、それは取引ではなく依存です。次の1社を探す作業を、今日の予定に入れてください。

3. すべてを失った直後に、何を持っているかを数える

1928年3月のディズニーが持っていたのは、キャラクターでも資金でもありませんでした。残っていたのは、数人の仲間と、絵を描く技術です。

それだけを使って、9か月後に代わりのものを作りました。

今日できること:うまくいかなかった仕事のあとで、「何を失ったか」ではなく「何が残ったか」を書き出してください。技術、関係、知っていること、作れるもの。失ったものは数えなくても分かりますが、残ったものは意識して数えないと見えません。

まとめ

ミッキーマウスは、ひらめきの産物ではありませんでした。オズワルドというキャラクターと、アニメーターの半数を同時に失った結果、代わりを作るしかなくなって生まれたものです。

権利を失った理由は、実力不足ではありません。契約上、著作権を持っていたのがユニバーサルだったからです。作る人と権利を持つ人が別なら、作る人はいつでも差し替えられます。

1度目の倒産では、支払わない取引先が1社あっただけで会社が消えました。2度目は、権利を持たない立場だったために交渉ができませんでした。どちらも、自分の側に主導権がなかったという1点で共通しています。

よくある質問

ミッキーマウスはどうやって生まれたのですか

1928年、ウォルト・ディズニーが人気キャラクター「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」の権利を配給元に持っていかれ、同時にアニメーターの半数も引き抜かれたことがきっかけです。代わりのキャラクターが必要になり、アブ・アイワークスとともに秘密裏に制作しました。3作目の「蒸気船ウィリー」が1928年11月18日に公開されています。

オズワルドの権利はなぜディズニーのものではなかったのですか

契約上、著作権を保有していたのがユニバーサルだったためです。ディズニー側は制作を請け負う立場で、誰が制作しても利益はユニバーサルに入る構造でした。そのため配給元のチャールズ・ミンツは、制作者をディズニーから別の人間に差し替えることができました。

ウォルト・ディズニーは破産したことがあるのですか

1921年6月28日にカンザスシティで設立したLaugh-O-Gram Filmsが、1923年10月16日に閉鎖されています。テネシー州の配給会社が6本のカートゥーンに対する11,100ドルを支払わなかったことが決定打でした。この時期、彼はオフィスに住み込み、週に一度ユニオン駅で体を洗っていたと記録されています。

会社を作ったとき、ディズニーは何歳だったのですか

19歳です。1901年12月5日生まれで、Laugh-O-Gram Filmsの設立が1921年6月28日のためです。会社が閉じられた1923年10月の時点では21歳になっていました。

オズワルドを失ったあと、何人残ったのですか

ごく少数です。アニメーターのアブ・アイワークス、見習いのレス・クラーク、ウィルフレッド・ジャクソンらの名前が記録に残っています。ミッキーの最初の作品「Plane Crazy」の着色は、彼らの家族がそれぞれの自宅で夜に行いました。

ディズニー最初のキャラクターは何ですか

ミッキーマウスではありません。その前にオズワルド・ザ・ラッキー・ラビットがおり、さらにその前に、ハリウッド移住後の第1作である「アリス・コメディ」の少女アリスと猫のジュリアスがいます。ミッキーは1928年の登場で、順番としては後ろのほうです。

オズワルドはいまどうなっているのですか

1927年から1928年にかけて26本の短編が作られ、その後はユニバーサル側で制作が続けられました。ディズニーの手に戻ったのは2006年2月9日です。当時CEOのボブ・アイガーがNBCユニバーサルと交渉し、スポーツキャスターのアル・マイケルズの契約と引き換えに権利を取り戻しました。奪われてから78年後のことです(The Walt Disney Company)。

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