2000年2月15日、ソフトバンクの株価は1株198,000円という最高値をつけました。この直後の数日間、孫正義は帳簿上およそ700億ドルの資産を持ち、ビル・ゲイツを抜いて世界一の富豪になっています。ただし、それは3日間で終わりました。ITバブルが崩壊し、時価総額20兆円規模だった会社は2,000億円台まで縮みます。およそ100分の1です。そのとき彼が口にしたのは、悲観でも弁解でもありませんでした。
目次
2000年2月15日、株価は198,000円をつけた
いま振り返れば、あの日が頂点でした。
2000年2月15日、ソフトバンクの株価は1株198,000円という最高値をつけます。当時の時価総額は20兆円規模。日本企業のなかでトヨタ自動車に次ぐ2位でした(PRESIDENT Online)。
インターネット関連の会社に片端から投資し、その株がすべて上がっていた時期です。買えば上がる。上がるからまた買う。そういう相場でした。
孫正義は当時42歳。この頃の彼の言葉が残っています。
「これからはインターネットだ、僕の頭の中は99パーセントがインターネットだ」
出典: PRESIDENT Online
3日間だけ、世界一の富豪だった
株価が最高値をつけた直後、彼の帳簿上の資産はおよそ700億ドルに達しました。
この金額が意味するのは、単に「大金持ち」ということではありません。ビル・ゲイツを抜いた、ということです。ウォーレン・バフェットも、ルパート・マードックも下に置いた。その瞬間、世界で一番の資産家は日本人でした。
この順位は、事業の実力で並んだものではありません。保有していたインターネット関連株の時価が、同時に、いっせいに上がった結果です。ソフトバンクは当時、ネット関連の会社に片端から出資していました。その投資先の株価がまとめて跳ね上がれば、親会社の資産も自動的に膨らみます。
言い換えると、彼が世界一になったのは、何かを成し遂げたからではありませんでした。相場がそう表示した、というだけのことです。
ただし、その状態が続いたのは3日間です。
市場が週末で閉じていたあいだ、数字だけが世界一のまま止まっていました。取引が再開されると、そこから先は下り坂です。
そして、99パーセントが消えた
2000年3月、アメリカのNASDAQ市場からIT関連株が崩れはじめます。ソフトバンクが抱えていた投資先の株の含み益は、急速に消えていきました。
最終的に、株価は99パーセント下落します。20兆円規模だった時価総額は、2,000億円台まで縮みました(現代ビジネス)。
| 時期 | 起きたこと |
|---|---|
| 2000年2月15日 | 株価が1株198,000円の最高値。時価総額は20兆円規模 |
| その直後の3日間 | 帳簿上の資産が約700億ドルに達し、世界一の富豪に |
| 2000年3月 | 米NASDAQ市場からIT関連株が崩れはじめる |
| 2000年以降 | 投資先の株式を売却して資産を圧縮。財務の立て直しに入る |
| その後 | 株価は99パーセント下落。時価総額は2,000億円台へ |
下がり方にも順序がありました。まず投資先の株価が落ち、その含み益が消える。含み益が消えれば、それを積み上げていた親会社の資産も同時に縮みます。積み上げたときと、まったく同じ経路を逆にたどっただけでした。
頂点と底を面積で並べるとこうなる。黒い四角がそのまま残った分にあたる。
「99パーセントを失う」とは、どういうことか
数字が大きすぎて、かえって実感が湧かないところです。具体的に分解してみます。
1. 消えたのは、もともと手元になかったお金だった
まず押さえておきたいのは、700億ドルという資産が現金ではなかったことです。保有していた株式の時価を合計した、帳簿上の数字でした。
株価が上がれば、何もしなくても資産は増えます。下がれば、同じように減ります。売却して現金にしていない限り、増えた分は手元にありません。
つまり彼は、一度も手にしていないお金を失いました。これは損失を軽く見る話ではありません。逆です。もし現金化していれば残ったはずのものが、数字のまま消えたということです。
2. 失ったのは金額だけではなかった
株価が99パーセント下がると、その会社の経営者は「見通しを誤った人」として扱われます。
ソフトバンクの場合、バブルの象徴として持ち上げられていた分、反動も大きくなりました。投資先の株式を売却して資産を圧縮し、財務を立て直す作業が続きます(The社史)。
金額の話であれば、時間が経てば取り返せます。取り返しにくいのは、信用のほうでした。
3. 合理的な判断は「撤退」だった
ここが、この話でいちばん重要な部分です。
2000年の時点で、確率で考えるなら答えははっきりしていました。インターネット関連の投資は失敗した。市場は消えた。事業を縮小し、堅い分野に資源を移す。それが正しい判断に見えました。
実際、当時のソフトバンクにはその選択肢がありました。
失ったものの側が、どう見ても重い。合理的に考えれば、撤退が正解に見えた場面だった。
4. それでも、方針を変えなかった
ソフトバンクはインターネット事業から撤退しませんでした。縮小もしていません。
この判断が正しかったかどうかは、この時点では誰にも分かりませんでした。結果が出るのは、ずっと後の話です。2000年の孫正義が持っていたのは、判断だけで、結果ではありません。
そのとき、彼が言ったこと
資産のほとんどが消えたあと、孫正義が口にしたのは、こういう言葉でした。
「神様がワシに試練を与えてくれた」
出典: 現代ビジネス
強がりに聞こえるかもしれません。実際、そういう面もあったはずです。
ただ、この言い方には特徴があります。出来事の意味を、自分で決めにいっているという点です。
「失敗した」でも「終わった」でもなく、「試練を与えられた」。同じ事実を指しながら、そこから先の行動がまるで変わる言い方を選んでいます。
本人がどこまで意識してこの言葉を使ったのかは分かりません。ただ、この時点で彼が撤退しなかったことと、この言い方は、無関係ではなかったのだろうと思います。
撤退しなかった結果、何が起きたか
ここまでは2000年の話です。では、方針を変えなかった結果として何が起きたのか。ここを書かないと、話が途中で終わります。
2001年9月、ソフトバンクはADSLによるインターネット接続サービス「Yahoo! BB」を始めます(SoftBank News)。バブルが崩れた翌年に、さらに大きな投資へ踏み込んだことになります。
結果は、またしても赤字でした。しかも規模が違います。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 開始 | 2001年9月(バブル崩壊の翌年) |
| 累計損失 | 2001年から2005年で2,600億円超 |
| 損失の規模 | 数年にわたり、売上の2倍を超える赤字を許容した |
| 根拠 | 加入者数が一定の水準に達すれば損益は必ず反転する、という計算 |
この数字を、2000年の話と並べて見てください。時価総額を99パーセント失った会社が、その翌年から4年かけて、さらに2,600億円を注ぎ込んでいます(The社史)。
売上の2倍を超える赤字というのは、通常なら経営が止まる水準です。それを数年続けられたのは、「加入者がこの数に届けば反転する」という一点に資源を集中させていたからでした。
つまり2000年に彼が手放さなかったのは、漠然とした「志」ではありません。インターネットのインフラを自分で持つ、という具体的な事業計画でした。だからこそ、翌年にもっと大きな金額を突っ込めています。
ここを見落とすと話が逆になる
「99パーセントを失っても諦めなかった」という書き方をすると、精神論に聞こえます。しかし実際にやったのは、失った直後に、さらに大きな賭けに出ることでした。
粘ったのではなく、賭け直した。この違いは大きいと思います。
では、自分はどうするか
1. 帳簿上の資産と、使えるお金を分けて数える
孫正義が失った700億ドルは、一度も手元になかったお金でした。株式や不動産、暗号資産の含み益は、売って現金にするまで自分のものになりません。
今日できること:自分の資産を2列に分けて書いてください。左に「いま現金として使える額」、右に「値動きするもの(株式・投資信託・不動産・暗号資産など)の現在の評価額」。右の列は、明日には変わる数字です。生活の判断に使ってよいのは、左の列だけです。
2. 悪い出来事に、自分で名前をつける
「神様が試練を与えてくれた」という言い方は、事実を変えていません。変えているのは、その事実の位置づけです。
同じ出来事を「失敗」と呼ぶか「試練」と呼ぶかで、次に取る行動が変わります。前者は終わりを意味し、後者は途中を意味するからです。
今日できること:いま起きている困った出来事を1つ選び、いまの自分がそれを何と呼んでいるかを書いてください。そのうえで、別の呼び方を3つ考えます。「失敗」を「授業料」「実験」「途中経過」と言い換えるだけで、次にやることが変わってくるはずです。
3. 撤退の判断は、確率だけで決めない
2000年のソフトバンクは、確率で見れば撤退すべき局面にありました。それでも続けた理由は、当初からの方針を変えない、という一点です。
誤解しないでいただきたいのは、これは「粘れば報われる」という話ではないことです。粘って消えた会社のほうが、はるかに多い。
今日できること:続けるか撤退するかで迷っている取り組みについて、「これは方針の問題か、それとも手段の問題か」を書き分けてください。手段がうまくいかないだけなら、手段を変えれば済みます。方針そのものを信じられなくなっているなら、そのときは撤退が正しい判断です。
まとめ
2000年2月15日、ソフトバンクの株価は198,000円をつけ、孫正義は3日間だけ世界一の富豪になりました。その後、時価総額は20兆円規模から2,000億円台へ、およそ100分の1まで縮みます。
失ったものの重さで比べれば、撤退が合理的な場面でした。それでも彼はインターネット事業を手放していません。
「神様がワシに試練を与えてくれた」という言葉は、そのときのものです。結果を知っている今から見れば、意志の強さの証明に見えます。しかし当時は、まだ何も決まっていませんでした。
よくある質問
孫正義が世界一の富豪だったのは本当ですか
2000年2月、ソフトバンクの株価が最高値をつけた直後の数日間、帳簿上の資産がおよそ700億ドルに達し、ビル・ゲイツを上回りました。ただしこの状態が続いたのは3日間で、市場が週末で閉じていた期間を含みます。
ソフトバンクの株価はいくらまで上がったのですか
2000年2月15日に1株198,000円の最高値をつけました。当時の時価総額は20兆円規模で、日本企業のなかではトヨタ自動車に次ぐ2位でした。
株価はどれくらい下がったのですか
99パーセント下落しました。時価総額は20兆円規模から2,000億円台まで縮んでいます。倍率にすると、およそ100分の1です。2000年3月にアメリカのNASDAQ市場からIT関連株が崩れたことがきっかけでした。
そのとき孫正義は何と言ったのですか
「神様がワシに試練を与えてくれた」と語っています。悲観でも弁解でもなく、出来事の位置づけを自分で決める言い方でした。
ソフトバンクはインターネット事業から撤退したのですか
撤退していません。縮小もしていません。投資先の株式を売却して財務を立て直しながら、インターネット事業そのものは続けています。確率で判断するなら撤退が合理的に見える局面での判断でした。
700億ドルは現金だったのですか
現金ではありません。保有していた株式の時価を合計した帳簿上の数字です。売却して現金化していない限り手元には残らないため、株価の下落とともに数字のまま消えました。