
「よろしくお願いします」を英語にしようとして、手が止まる。辞書を引いても、しっくりくる訳が出てこない。
これは語彙の問題ではありません。この日本語は場面ごとに違う機能を持っていて、訳す対象が1つに定まっていないからです。機能を先に決めれば、置き換えは自動的に決まります。
訳せないのは、語彙が足りないからではない
英語圏のビジネスメールに、この位置に必ず入る決まり文句はありません。
日本語では、意味がほとんどない位置に置かれる
依頼のあとにも、自己紹介のあとにも、報告のあとにも入ります。挨拶と同じで、その場を締める合図として機能しています。意味の核が薄いぶん、どんな文脈にも置ける。だから、対応する英語を1つ探そうとすると見つかりません。探すべきは、その1回ごとに何をしているかです。
直訳すると、要求が強くなる
Please treat me well のような直訳は、英語では意味が通りません。Thank you in advance は使えますが、依頼の直後に置くと「やってくれる前提」に読まれることがあります。日本語では丁寧な締めのつもりが、英語では前提の押し付けになる。丁寧さの方向がずれるので、直訳は避けたほうが安全です。
「何も書かない」が正解の場面がある
本文が終わって、結びの1行を書いて、署名。この形で完成しています。日本語の感覚だと締めが足りない気がしますが、英語では十分です。無理に1行足すと、内容のない文が1つ増えるだけになります。
まず、その1行が果たしている機能を特定する
書こうとしている「よろしくお願いします」が、何をしているのかを言葉にします。だいたい5つに分かれます。
| 場面 | 実際の機能 |
|---|---|
| 依頼したあと | やってもらう前提の謝意 |
| 初めて連絡するとき | 関係を始める挨拶 |
| 返事を待っているとき | 返信を促す |
| 資料を送ったあと | 確認してほしい |
| とくに用件がないとき | 締めの合図(機能なし) |
依頼のあとは、感謝ではなく期限を書く
依頼したあとの「よろしくお願いします」は、たいてい「やってください」の遠回しな表現です。英語では、遠回しにするより期限を書くほうが親切に受け取られます。いつまでに何をしてほしいかが1行あれば、締めの言葉は要りません。急ぎでないなら、その旨を添えます。
初回の連絡では、次の行動を書く
初めての相手に関係を始める挨拶を入れたいなら、抽象的な言葉ではなく、次に何が起きるかを書いてください。「来週改めて資料をお送りします」のような1行のほうが、関係の始まりとして機能します。よろしくお願いします、に相当する社交辞令は、英語では省略されるのがふつうです。
返事を待つときは、締めではなく本文で書く
返信がほしいなら、締めの位置ではなく本文に書きます。締めは読み飛ばされやすい位置です。期限つきで本文の最後に置くと、処理の対象として認識されます。英語メールの件名は処理させるために書くと同じ考え方で、相手の作業が発生するかどうかを明示するのが要点です。
機能別の置き換え表
機能が決まれば、置き換えは1つに決まります。
| 機能 | 置き換え | 備考 |
|---|---|---|
| やってもらう前提の謝意 | Thank you for taking care of this. | 依頼済みの件に使う |
| 関係を始める挨拶 | I look forward to working with you. | 初回のみ。毎回は使わない |
| 返信を促す | Could you reply by 日付? | 本文に置く |
| 確認してほしい | Please let me know if anything is unclear. | 資料送付とセット |
| 締めの合図 | (書かない) | Best regards で足りる |
Thank you in advance は、相手を選ぶ
依頼の直後に置くと、まだ引き受けていない相手に「やる前提」で礼を言う形になります。すでに引き受けてもらった件なら問題ありません。迷うなら、Thank you for taking care of this のように、対応中の件に対する謝意として書くほうが安全です。
I look forward to 〜 は、初回だけ
毎回のメールに入れていると、意味のない定型句として流されます。初めて連絡するとき、あるいは案件が始まるときに1度だけ。それ以降は、具体的な次の予定を書くほうが機能します。
結びは3つ持っていれば足りる
Best regards、Thanks、Regards。この3つを相手との距離で使い分ければ、それ以上は要りません。結びの語を増やすより、その1行上に何を書くかのほうが効きます。ここは英語メールの締めは3つで足りるで詳しく扱っています。
いちばん多いのは「書かなくていい」場面
実際に分類してみると、5つ目の「機能なし」がいちばん多くなります。
日本語メールの3割は儀礼でできている
お世話になっております、で始まり、よろしくお願いしますで終わる。この枠組みは、本文の中身とは独立して存在しています。英語のメールにこの枠はありません。枠を訳そうとすると、中身のない文を2つ足すことになります。
足すと、かえって不審に見える
用件が1行のメールに、儀礼の文が2つ付いていると、何か裏があるのかと読まれることがあります。とくに社内のやりとりでは、短いほど自然です。丁寧にしようとして足した文が、逆に距離を作ります。
短さは失礼ではない
日本語の感覚だと、短いメールは素っ気なく感じます。ただ、英語では短さは効率と読まれます。相手の時間を取らないほうが丁寧だという前提があるので、削っても関係は悪くなりません。不安なら、結びを Best regards から Thank you に変えるだけで十分に和らぎます。
同じ理由で止まる日本語、6つ
「よろしくお願いします」と同じ構造で、訳そうとすると止まる日本語があります。
| 日本語 | 実際の機能 | 置き換え |
|---|---|---|
| お世話になっております | 書き出しの合図 | 書かない(用件から入る) |
| 取り急ぎ | 簡潔さの予告 | Quick update: |
| ご確認のほど | 確認の依頼 | Please review 〜 by 日付. |
| お手数ですが | 負担への配慮 | Could you 〜? で足りる |
| 検討させていただきます | 保留の表明 | I’ll get back to you by 日付. |
| 善処します | 曖昧な約束 | できる範囲を数で書く |
「検討させていただきます」は、断りに読まれないようにする
日本語では前向きにも断りにも使えますが、英語では曖昧な返事は嫌われます。いつまでに返事をするかを書いてください。前向きなら期限を、難しいなら理由を1つ添えて断る。中間の表現を探すより、どちらかに寄せるほうが関係が続きます。
「お手数ですが」は、Could you に含まれている
Sorry to bother you を毎回付ける必要はありません。Could you という形自体が、相手に選択の余地を残した丁寧な依頼です。謝罪を重ねると、かえって重い印象になります。本当に負担が大きい依頼のときだけ、理由を1行添えてください。
「善処します」は、数字に置き換える
努力する、可能な限り、といった表現は、英語では何も約束していないのと同じに聞こえます。3日かかる、半分ならできる、来週なら対応できる。できる範囲を具体的に書くほうが、結果的に信頼されます。
相手も日本語話者のときの扱い
日本の会社どうしで、英語でやりとりする場面があります。ここは事情が少し違います。
儀礼を訳した英語が定着していることがある
社内の慣習として、日本語の枠をそのまま英語にした形が使われている会社があります。この場合、自分だけ削ると浮きます。相手の過去メールを見て、枠があるなら合わせてください。正しさより、そこで使われている形に合わせるほうが実務的です。
第三者が入るときに切り替える
海外の取引先が宛先に加わったら、そこから枠を外します。日本語話者だけのときの形を続けると、加わった人には冗長に見えます。切り替える合図としては、最初のメールで用件から入ってしまえば十分です。
迷ったら、相手の書き方に合わせる
相手が短いメールを送ってくるなら短く、儀礼を入れてくるなら少し入れる。これがいちばん失敗しません。英語のメールに絶対の正解はなく、相手との距離で決まる部分が大きいです。
まとめ
「よろしくお願いします」は、訳すのではなく、機能を特定して置き換えます。
- 訳せないのは、この日本語に機能が5つあるから
- 依頼のあとなら、締めの言葉より期限を書く
- 初回なら、次に起きることを1行書く
- 3つの問いに全部いいえなら、書かなくていい
- 日本語メールの枠(お世話になっております/よろしくお願いします)は英語にない
- 短いのは失礼ではなく、効率として読まれる
- 相手も日本語話者なら、その場の慣習に合わせる
置き換えの表を覚えるより、「この1行は何をしているか」と一度自問する癖のほうが長く使えます。
よくある質問
何も書かないと冷たく見えませんか
結びの1行があれば冷たくは見えません。不安なら、Best regards を Thank you に変えるか、本文の最後に相手の状況に触れる1行を足してください。定型句を足すより効果があります。
目上の相手にも同じでいいですか
同じで構いません。英語では、丁寧さは定型句の多さではなく、依頼の形と情報の明確さで示します。Could you を使い、期限と理由を書けば、相手の役職にかかわらず失礼にはなりません。
翻訳ツールに入れると、毎回違う訳が出ます
元の日本語に機能が定まっていないので、出力が揺れるのは当然です。「依頼を引き受けてもらったことへの謝意を1文で」のように、機能を指定して英文を作らせると安定します。日本語をそのまま渡さないのが要点です。
年末年始の挨拶はどうしますか
相手の国や宗教によって行事が違うので、特定の行事名を使わない表現が無難です。休暇に入る日と戻る日を書いて、不在中の連絡先を添える。これが実務的にはいちばん喜ばれます。
電話や会議の最後にも「よろしくお願いします」と言いたくなります
会議の終わりなら、次に何が起きるかを1文で確認するのが自然です。誰がいつまでに何をするかを言って終える。挨拶の言葉より、その確認のほうが場を締めます。